2011年09月26日

琉球③

中城城公式HP
勝連城の阿麻和利と同時代(15世紀)、築城の名手と謳われた護佐丸が居城とした城。
琉球王国にはおよそ300余りのグスクがあったようですが、中城城は去る大戦の戦禍による被害が小さく、
県内のグスクの中でも最も原型を留めている、といわれています。

琉球の城は、本土より古い時代から石積技術が発達していました。
中城城の城壁は、築城年代により三種類の石積みがあります。
古い順に、野面積み、布積み(豆腐積み)、あいかた積み(亀甲乱れ積み)

石積み技法のもっとも進んだあいかた積みで築かれた「三の郭」

そのすぐ脇にある、北東に向かって建てられた「裏門」。順路はここからはじまります。

地理的になだらかな裏門のほうがアプローチしやすい、正門はまだ修復中、
などいろいろ理由はあると思いますが、正門のある中城城の西側には、
昭和の負の遺産、建設中に放棄された巨大ホテルが・・・かなり異様な雰囲気を醸しだしています。


1853年、琉球を訪れたペリー一行の探検隊が立ち寄り、その建造技術の高さを賞賛。
このとき随行画家ハイネが4枚のスケッチを残しています。

そのうちの1枚、”西の郭より正門を望む”にある「西の郭」の城壁。
ペリー本人は城には来ていないようですが、当時スケッチされたものが
そのままの形で目の前にある・・・  感慨深いものがあります。


「カンジャーガマ」(鍛冶屋跡)をのぞむ

この裏側にある「南の郭」には聖地とされる久高島や首里への遥拝所があります。
城内には八つの拝所があるとのこと。

中城城はまだ発掘調査が続いていて、完全に整備されていません。
その分樹木も多く、多数の拝所とともに、
目にはみえないけれど身体に訴えかけるものが大きかったです。
このときは台風が接近しているとは思えない、旅行中で一番の晴天。
今回のグスク巡りで特に印象に残った城となりました。

つづく


  


Posted by 鍼灸きさらぎ堂 at 23:58Comments(0)日記