2011年09月29日

琉球④

中村家住宅公式HP
中城城から車だと5分もかからないところに、この古い民家はあります。

18世紀中ごろに建てられたと伝えられ、地頭職(本土でいう庄屋)についていた
上層農家の住居です。屋敷構えがそっくり残っているのは珍しく、
沖縄返還とともに、国の重要文化財に指定されました。

琉球瓦が印象的です。(明治中ごろまでは竹茅葺き)
台風に備え、漆喰で塗り固められた赤と白(経年変化で灰色ですね・・・)のコントラスト。


屋敷を囲う塀の切れ目から中に入ると、また塀に突き当たります。
まっすぐに建物のあるところにいけず、直角に曲がって屋敷に入ることになります。
この突き当たりにある塀を"ヒンプン"といい、
外から母屋が見通せないための目隠しの役割があります。
同時に、まっすぐにしか進めない邪が家の中に入ってこれないように
という考えに基づいているようです。


進むと建物に囲まれた中庭に出てきます。

すぐに目に付く屋根の上のシーサー

今まで私が抱くシーサーのイメージは、門のところに阿吽で対に置かれたものでした。
でもよく考えたら神社の狛犬の影響なんですね。
もともとは単体で置かれており、このように屋根に据えられたのは、
庶民に瓦葺きが許された明治以降のことだそうです。

実際に農業を営みながら、人に住まわれてきた建物。
実用性に富んだその造りに当時と同じ生活を自分も体験してみたいな、という好奇心が沸きました。
(きつい生活だったでしょうけど・・・)

最後にこちらではお茶と黒糖ゼリーを出していただきました。
甘いものをいただきながら『中村家のひみつ』という関西大学の方がまとめた冊子を熟読。
暑い沖縄ならではの工夫に納得の1冊で、理解が深まりました。

つづく  


Posted by 鍼灸きさらぎ堂 at 23:01Comments(0)日記

2011年09月26日

琉球③

中城城公式HP
勝連城の阿麻和利と同時代(15世紀)、築城の名手と謳われた護佐丸が居城とした城。
琉球王国にはおよそ300余りのグスクがあったようですが、中城城は去る大戦の戦禍による被害が小さく、
県内のグスクの中でも最も原型を留めている、といわれています。

琉球の城は、本土より古い時代から石積技術が発達していました。
中城城の城壁は、築城年代により三種類の石積みがあります。
古い順に、野面積み、布積み(豆腐積み)、あいかた積み(亀甲乱れ積み)

石積み技法のもっとも進んだあいかた積みで築かれた「三の郭」

そのすぐ脇にある、北東に向かって建てられた「裏門」。順路はここからはじまります。

地理的になだらかな裏門のほうがアプローチしやすい、正門はまだ修復中、
などいろいろ理由はあると思いますが、正門のある中城城の西側には、
昭和の負の遺産、建設中に放棄された巨大ホテルが・・・かなり異様な雰囲気を醸しだしています。


1853年、琉球を訪れたペリー一行の探検隊が立ち寄り、その建造技術の高さを賞賛。
このとき随行画家ハイネが4枚のスケッチを残しています。

そのうちの1枚、”西の郭より正門を望む”にある「西の郭」の城壁。
ペリー本人は城には来ていないようですが、当時スケッチされたものが
そのままの形で目の前にある・・・  感慨深いものがあります。


「カンジャーガマ」(鍛冶屋跡)をのぞむ

この裏側にある「南の郭」には聖地とされる久高島や首里への遥拝所があります。
城内には八つの拝所があるとのこと。

中城城はまだ発掘調査が続いていて、完全に整備されていません。
その分樹木も多く、多数の拝所とともに、
目にはみえないけれど身体に訴えかけるものが大きかったです。
このときは台風が接近しているとは思えない、旅行中で一番の晴天。
今回のグスク巡りで特に印象に残った城となりました。

つづく


  


Posted by 鍼灸きさらぎ堂 at 23:58Comments(0)日記

2011年09月25日

琉球②

勝連城公式HP
今回の旅では、平安座島宿をとったので、何度も車で通過することになった勝連城。
西から海沿いの道路を走り、はじめてその美しい姿が見えてきたときは、
思わず声をあげてしまいました。

勝連城は15世紀、琉球王国が安定していく過程で、国王に最後まで抵抗した有力按司、
阿麻和利が住んでいた城です。
地元の中高生が演じる、阿麻和利の半生を描いた演劇
肝高の阿麻和利」が全国公演もしているようです。

入り口から四の曲輪へ向かう途中で。

四の曲輪よりのぞむ。


勝連城は何回か見る機会があったので、天候によって
その表情が変わるのを実感できました。
一番上の、一の曲輪から見渡せる眺望も、天気によってかなり左右されます。
また違う季節に訪れてみたいものです。

つづく  


Posted by 鍼灸きさらぎ堂 at 23:52Comments(0)日記

2011年09月24日

10月の休診日


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10月は、8日~10日を、お休みさせていただきます。
よろしくお願いいたします。  


Posted by 鍼灸きさらぎ堂 at 00:14Comments(0)休診日

2011年09月23日

琉球①

鍼灸師ゆういちろうです。

16~19日に、お休みを頂いて、沖縄に旅行してきました。
しかし、ちょうど台風15号が発生し、沖縄本島に近づくタイミング。
飛行機がとぶか心配でしたが、無事行って来れました。

今回の旅の目的。
沖縄に嫁いだ妹が7月初めに出産したので、姪っ子に会うこと。
次に、以前から興味があった、世界遺産にもなっているグスクをみること。

今帰仁城公式HP
世界遺産は中部、南部に集中していますが、美ら海水族館のある本部半島にあります。
ここでは、無料のガイドさんがいて詳しく説明してくれました。

城内で兵馬を訓練した場所と伝えられる「大隅」を囲む城壁。
今にも雨が降り出しそうな空です。

今帰仁城の城壁は、古生代石灰岩という岩石を積んであるそうです。
古生代の名のとおり、化石が・・・


正門である平郎門。

門の奥にみえる「大庭」(ウーミヤ・・・行事などに利用された重要な広場)に続く道は、
太平洋戦争前に地元民によって桜の植栽とともに直線に整備されたもの。
本土の神社の参道と同じ考え方、皇民化政策による影響が伝わってくる話です。

門をくぐり右手へ。わかりにくいですが、写真中央の道が本来のルート。


今帰仁城は30年ほど前に本格的に城としての調査がはじまったそうですが、草木が伸び放題で
ジャングル状態だったとのこと。
1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい、城は炎上。
城としての機能がなくなってからも、城内に点在する御嶽が地元の人々の
祈りをささげる場として、崇められてきたそうです。

観光のための整備と、残された自然とのバランスがうまく取れている印象。
地元の方々の城への想いが伝わってきました。

つづく

  


Posted by 鍼灸きさらぎ堂 at 20:40Comments(0)日記

2011年09月22日

お知らせ

9/23(金)秋分の日は、祝日ですが、
鍼灸きさらぎ堂は開いております。

よろしくお願いします。
  


Posted by 鍼灸きさらぎ堂 at 16:01Comments(0)日記

2011年09月16日

あさがお

ちゃんと育ってくれるか心配をしていたあさがお

蔓の成長はいまいちですが(それでも気付かぬうちに良く伸びた)・・・
花が咲いてくれました。




地面に近いところにひっそり咲いて、
あさがおってこんな感じでしたっけ?
と納得はできないながらも、
花は色鮮やかで美しく、咲いている姿が見られて良かったです。  


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2011年09月15日

お知らせ

9月16日(金)~19日(月)はお休みをいただきます。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
  


Posted by 鍼灸きさらぎ堂 at 09:14Comments(0)日記

2011年09月14日

緑のカーテン、フウセンカズラの実がすっかり色付きました。

良く見ると、中に種が透けて見えます。

ハートの模様が可愛らしいです。
  


Posted by 鍼灸きさらぎ堂 at 22:36Comments(0)日記